代表取締役の自己紹介と政治・経済・経営についての考え方(27)

query_builder 2024/03/09

おはようございます。

前回までは、主として営業「現場」の話をしてきました。今回からは、「経営」について語りたいと思います。「経営」とは広い概念でとらえると、ある種の「組織」体があると、その規模の大小にかかわらず、その運営の要(かなめ)になるものです。ここでは、今回のブログのテーマに沿って、先ず、「民間企業」の経営に関する話から始めましょう。

昨年、鬼籍(きせき)に入られた、現代の「経営の神様」と呼ばれた稲盛和夫氏は、「『経営』は役割である」、との主旨の話を、よくされていました。会社には、会長、社長、取締役、執行役員、管理職(部長、課長、係長など)、従業員など、様々な人々がいます。それぞれが、その立場において、権限と、それに伴う責任を持っている。経営者と呼ばれる人は、社内における待遇も良く、社外でも、その「社会的立場」は尊重される。それは、構わないのです。

先のブログで、私(代表取締役)は、社員は給料の2~3倍の「仕事」をしてもらわなければ、企業としては、その雇用の負担に伴うコストとペイしないと申し上げました。一方、経営者はどうでしょうか。本当のことを申し上げれば、「無定量(むていりょう)」の勤務が求められるのです。「プロは、朝から晩まで、常に仕事のことを考えている」と、書家の、あいだみつお氏は、言っておられます。経営者になれば、本来、寝ている時間は別として、「24時間」、仕事のことに腐心(ふしん)しなければなりません。教育家の森信三氏も「休息は寝ている時だけでいい」との主旨の発言があります。

稲盛氏は、おっしゃいます。企業では、それぞれが、それぞれの「役割」を与えられている。それにより、給与の面を含めた待遇には、差がある。社長ともなれば、秘書もつき、車もつく。社内では、「トップ」として尊重される。しかし、勘違いしてはいけないのは、それは「役割」に過ぎないということである。その地位に応じた処遇を受けるのはいい。ただ、それで、自分は「偉い」存在などと勘違いしてはいけない。大事なことは、その職責を果たすことで、それで、その価値が計られる。本当に、全身全霊を打ち込んで、社業に、全てを賭ける気持ちでいなければならない。それが、できない人は「経営者」になるべきではない、との主旨です。

昔、私がまだ子供の頃ですか。植木等さんという俳優がいらしゃって、当時、面白い映画に度々(たびたび)、出演されて、一世を風靡(ふうび)されておられました。その映画での台詞(せりふ)ですが、「サラリーマンとは気楽な稼業(かぎょう)ときたもんだ」という、フレーズがありました。これは、映画の話で、現実の現場では、「修羅場(しゅらば)」のような話が、数多いです。ただ、ここで、私が言いたいのは、「経営者」になるということは、報酬(ほうしゅう)とか、社会的地位とか、体裁(ていさい)とか、見栄(みえ)とか、そういうことが動機(どうき)で、あっては、本来、いけないのです。

本当に「経営者」になりたいのであれば、そこに人生の全てを賭けるくらいの気持ちでいなければならない。もちろん、経営者にも「私生活」はあります。それは、社会倫理に反しない限り、極力、尊重されなければならない。その上で、経営者には、社員を「養っていく」、重い責任が、その一身(いっしん)に課されているという、強い意識を持っていなければならない。時に「自己犠牲(じこぎせい)」も辞さない覚悟でいなければならない。それが、できない人は、経営者にはならず、社員として、公私(こうし)の生活をエンジョイしていけば、いいのです。その選択も大いにありでしょう。

今回は、経営者としての心構え、理念になるような話になりました。この話、次回にも続けます。現実の社会は、どうなのかも、見ていきましょう。

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