日本の「国防論」あれこれ(22)

query_builder 2024/04/18

おはようございます。

今回は、「非武装論」についての話をしたいと思います。

これは、多様な観点からの論究(ろんきゅう)ができます。

先ずは、憲法学における学説からです。憲法第9条の解釈については、多様な意見がありますが、アカデミズムの世界では、「自衛隊違憲説」が通説だと言われます。端的に言えば、日本は軍事力の保有は認められていないという立場です。いわゆる「文理解釈」で、法律上の文言だけから、憲法を解釈するのです。それをすると、どうしても、こういう解釈になります。いわゆる「侵略戦争」はもちろん「自衛戦争」も認めない。自衛隊は「戦力」に当たり保有できないという論理です。

第2に、憲法の成立過程についてです。当初、現行憲法の制定に当たっては、マッカーサー3原則というのがありました。その当初段階では、日本を非武装にするというのが、構想にありました。この発想については、誰のものか、諸説があるところですが、ともかく非武装論であった。それは、連合国内でのソ連への配慮とか、天皇制という日本の「国体」を維持するための取引だったとか、諸説があります。

しかし、GHQの中での議論の課程の中で、取り下げられました。

第3に、憲法第9条第2項に、「前項の目的達するため」という文言をいれた、いわゆる「芦田修正」についてです。この修正により、憲法解釈は、大きく2分されます。この意味については諸種の解釈がありますが、自衛力の保有を、本来は認めていないとの、説もあるにはあるのです。

第4に、政府の憲法解釈です。憲法が侵略戦争を放棄していることについては、ほぼ一致してるところですが、政府は、実は、自衛戦争も放棄しているという解釈なのです。しかし、日本が攻撃を受けたっ場合には、自衛のための抗争をする権利があり、そのための必要最小限の自衛力の保有は認めるとしています。

第5に、司法判断です。最高裁の判断は曖昧で、いわゆる「統治行為論」を採っています、要するに、この種の日本の安全保障の問題は、政治の方の議論で決めて下さいよということです。司法判断の域を超えた政治的な課題だということです。

第6に、国民の世論です。第2次世界大戦での惨禍8(さんか)を経験した国民は、当時、疲弊(ひへい)しており、厭戦(えんせん)気分が大変強かった。左翼陣営が中心ですが、とにかく、敗戦したこともあり、とにかく戦争への忌避(きひ)感情も、大変強かったということもあります。

第7に、当時の国際情勢があります。本格的な米ソ冷戦が始まるまでは、日本を弱体化することでは、一致した見解でした。冷戦が勃発すると米国の占領方針が急転換しましたが、それまでは、依然も言及しましたが、ともかくWGIPで、日本人に自虐史観(じぎゃくしかん)を植え付けておりました。ともかく、戦争はもう嫌だと言う意識を植え付けました。

大体、以上が、「非武装論」の背景にある事情です、次回は、これらについて、総合的にどう考え、対応すべきかについて考えたいと思います。今後の日本を考える契機にしたいと思います。

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