おはようございます。
今回は、前回に述べた箏に関して、お話しをさせていただきます。
第2次世界大戦後の日本の安全保障戦略の政略の基本は、「吉田路線」だと、先の「国防論」シリーズで申し上げました。
吉田路線とは、吉田茂首相が確立したものですが、吉田首相は、「戦争で負けて外交で勝った事例はある」との歴史観の下で、戦後の日本は、「経済重視、軽武装」で行く、として、本格的な「再軍備」を拒否しました。この路線は、戦後史を見てみると正鵠(せいこく)を得たもので合ったと思います。
ともかく、日本の経済成長は成し遂げられ、一方、安全保障は、米国に「丸投げ」で、日本は米国の「保護国」状態ですが。
首相の職を辞して後、吉田氏は大磯(おおいそ)に居を構え、自らの育成した政治家たちの「大磯詣(もう)で」は引きも籠(こ)もらなかったそうですが、後年は、憲法改正の必要性も認識されていたそうです、
その吉田氏が、首相時代、当時の保安大学校(現防衛大学校)であったと思いますが、卒業式の訓示で、こう述べられたそうです。すなわち、「諸君のなす仕事は、将来にわたって日の当たることのないかもしれない。しかし、それが、日本にとっては幸福なことなのです。諸君は与えられた任務を黙々と成し遂げていって欲しい」との趣旨だったと思います。
つまり、日本は、米国と協働して、自国の安全保障を確保していく。そのための抑止力としての自国の「軍備」は備えておく。しかし、決して、その抑止が敗れて「対処」の時が来ないことを自分は望む。再び、「戦禍(せんか)」に日本が巻き込まれないことを期待する。それが、日本国及び日本国明にとって、幸福なことなのだ、ということです。
戦前は、外交官として活躍し、当時の日本軍の憲兵に追い回されながら、活動を続けていた吉田氏の、敗戦を踏まえての、心からの実感だったと思います。全くの「非武装」も戦後当初は考えていた吉田氏ですが、戦後、米ソ冷戦が始り、国際連合による集団安全保障の機能不全が明らかになる中で、「多数講和」の道を選択し(いわゆる「西側陣営」に入る。)、全く自らのみが責任を負う覚悟で旧日米安全保障条約を締結し(吉田氏1人だけが署名しました。)、その結果、日本は、今日の国際的地位を獲得することができたのです。それくらい、胆力(たんりょく)のある政治家でした。
勿論(もちろん)、国内外環境の大きく変化した今日においては、日本も「軍隊」を保有することについての是非、可否の議論はあります。そのことについては、次回に話しましょう。
バーチュー・クリエイティング株式会社
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