おはようございます。
今回は、天皇の、現行憲法の位置づけから考えてみましょう、
天皇の規定は、第1条にあります。いわく、「日本国及び日本国民統合の『象徴』」であり、「その地位は日本国民の総意に基づく」ということです。
日本国憲法は、GHQ主導で作成されたものですから、「英文」正本を見る必要があります。「象徴」とは、「symbol」の訳語です。「象徴」が何を意味するのか、各人の受け止め方によって様々でしょうが、前回も述べた、「権力」と「権威」の分立の観点から見ると。歴史上、時々の天皇の「親政」の時代は別にして、天皇は、政治的権力を行使している時代は稀であり、いわば、そもそも「象徴」的な位置づけだったのではないでしょうか。時の公家なり、武士なり、明治維新語は、当初の太政官符(だじょうかんふ)から内閣に至るまでが政治的権力を有していました。現行、憲法にも、「天皇は政治的権能をを有しない」との規定があります。
明治以降は、徳川幕府の封建時代から、明治政府の近代国家の建設路線にあたり、天皇の権威を、最大限、利用して、その近代化が図られました。
前の「大日本帝国憲法」には、天皇は「統治権の総覧者(そうらんしゃ)」との規定があります。しかし、これは、憲法の文言上の規定の仕方によるものであり、実際は、絶対権力者ではなくて、政治の運営は、時の内閣が行う、いわば「立憲君主制」の国家でした。
これに先立つ徳川幕府の末期は、「勤王派(きんのうは)」と「佐幕派(さばくは)」との激しい戦いがありましたが、結局は、徳川幕府が「大政奉還(たいせいほうかん)」し、紆余曲折(うよきょくせつ)を経ながら、明治の新体制の構築になったわけです。この時は、「天皇」の権威をフルに利用して、この「維新」(「革命」とは日本では言いません。)が、為されたわけです。この維新は、鳥羽伏見(とばふしみ)の戦いなどの種々の個別の戦闘はありましたが、また、東北地方の平定などはありましたが、ほぼ「無血革命」でした。幕末の混乱期の、幕府と維新の志士達の争いは、別の話としましょう。こういった時期には、多少の混乱はつきものです。徳川幕府の第15代将軍の徳川慶喜氏も殺されませんでしたし、徳川家も今の静岡県に移邦(いふう)されることになりましただけです。維新後の「版籍奉還(はんせきほうかん)」、「廃藩置県(はいはんちけん)」もスムーズにいきました。旧大名の諸氏は、華族(かぞく)に列せられましたし、ほぼ無傷です。このような、状況が可能になったのも、元々、日本は、「象徴」としての「天皇」がいて、時の政治的権力者とは別個の存在であられたところの、日本の「国体」によるものなのです。
ここぞと言うときには、「天皇制」を最大限に活用するという歴史の叡智(えいち)が、日本にはあるのです。明治維新期に限らず、歴史上、いくらでも散見されます。
次回は、第2次世界大戦後の話をしましょう。
バーチュー・クリエイティング株式会社
住所:東京都渋谷区恵比寿1丁目19-19 恵比寿ビジネスタワー10F
電話番号:03-5708-5985
NEW
-
16.Nov.2024
-
現代社会における新「...おはようございます。今回は、新時代における「労働観」につ...15.Nov.2024
-
現代社会における新「...おはようございます。今回は、「労働」の意味について、考え...14.Nov.2024
-
現代社会における新「...おはようございます。今回は、「経済格差」の話しに言及しま...10.Nov.2024
-
現代社会における新「...おはようございます。今回は、いわゆる「3K」労働についての...09.Nov.2024
-
現代社会における新「...おはようございます。今回は、労働者の「働き方」について言...08.Nov.2024
-
現代社会における新「...こんばんは。今回は、マルクス主義の概念の話しをします。政...06.Nov.2024
-
現代社会における新「...おはようございます。マルクス主義の思想では、一つ、重要な...05.Nov.2024