現代の情報化社会におけるジャーナリズム論④

query_builder 2024/09/28

こんばんは。

今回は、前回に引き続いての話しになります。

報道機関として、一定の政治的な立ち位置があり、それに基づいて記事を配信したり、番組を作るのはいいでしょう。日本国憲法に「検閲(けんえつ)はしてはなら

ない」との条項があります。まがりなりにも、日本国政府が、報道の内容について、介入することはあってはなりません。

では、何を報道してもいいのかというわけでもありません、日本にはBPO(番組放送倫理審査機構)という自主的な団体があり、例えば、テレビの放送内容について疑念(ぎねん)を持つ国民である視聴者は、苦情を申し立てることができ、内容によっては、同機構の審査が入り、勧告がなされることになっています。

それで、番組の公正さが保たれれば、いいのですが、現実はどうでしょうか。

ここからは、前に挙げた報道機関のうち、新聞、テレビについて申し上げます。

某政権の時に、とある某新聞社の幹部は、「○○首相の『葬式』はうちが出す」と

宣(のたま)われていたようです。某新聞社の論調には、合わない政権だったのでしょう。しかし、新聞社の幹部が、そういう意識を持っている新聞に書かれている内容について、その信憑性(しんぴょうせい)は如何なるものでしょうか。この新聞社は、一応、日本の有力紙なのですが、誤報や捏造(ねつぞうz)記事の多さでも有名です。

また、某テレビ局で、コメンテーターが、人気ニュース番組の中で、「I am not ○○(首相)」のプラカードを掲げ、意見を開陳(かいちん)している。このようなニュース番組を観る気になるでしょうか。流石(さすが)に総理官邸から、抗議(こうぎ)が寄せられていたいたようですが、ちょっと、みっともない番組でした。

それから、いわゆる、ある幾(いく)つかの有力法案が国会で審議されているときに、国論が二分される大騒ぎになりましたが、賛成、反対のうち、明らかに後者に偏した新聞記事やテレビ番組が多かったです。とても、各新聞や各テレビ番組を一通り観ないと、読者や視聴者の見解が偏向してしまうよな状況でした。

何も、報道機関の中立・公正さを疑うわけではありませんが、実際問題として、このような情報が乱れ飛ぶことがあります。いわゆる、今の流行(はやり)言葉で言えば、「フェイク・ニュース」が散見(さんけん)どころか、頻発(ひんぱつ)しています。

このように、新聞やテレビの記事や番組を、そのまま受け入れるのではなく、読者なり視聴者なりが、内容をよく見極めて、読む・観ることが大事です。とは言え、「検閲」には、私は、反対します。それぞれの報道機関が自主的に、中立性や公正さを保った報道をして欲しいです。いわゆる政権批判をしたら逮捕されるような諸某国のようなことには、なって欲しくありません。もし、その信憑性を疑われるような報道が頻発していたら、「自然淘汰(しぜんとうた)」されるような国になって欲しいものです。

繰り返しになりますが、「右」にせよ、「左」にせよ、政治的な立ち位置をとることには、問題はないと思います。報道機関も同様です。そこに、先程の事例で挙げたような、明らかに問題視されるようなことが、あってはならないでしょう。生身の人間が行っている「報道」の仕事ですから、「完璧(かんぺき)さ」を求めることは無理でしょうが、できるだけ、「報道」に携わる者としての、矜持(きょうじ)を持って欲しいものです。

「権力」の「不正」があれば追求するのは、当然です。そこに、報道のプロとしての意識の向上とともに、能力を磨(みが)いて欲しいです。社会の「木鐸(ぼくたく)」としての役割の一翼(いちよく)を、報道機関は担(にな)っているのです。できるだけ、偏向のない、正確な情報提供をして欲しい。そして、国民が、それに基づいて、理解、判断をする。

この世の中には、「行為する者」と「行為せざる者」がいます。その職務の内容に基づいての評価です。報道機関は、この分類では、後者になります。主として、「批判」する者としての役割を果たす存在です。それ故に「報道人」は、謙虚さと節度を持つことを忘れてはいけません。できるだけ、客観性、中立性、公正さを持った内容の報道をするようにしなければ、ならないのではないでしょうか。

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